2005年12月10日

今日受け取った一通の手紙

メールが便利である。
勝手な時間に送りつけて、自由な時間に読み、返信をする。
これだけのメール文化が発達して、旧交をあたためることができるようになって
誰よりも喜んでいるのが私のような不規則な時間で動いている人間だと思う。
今日、手紙が来た。
郵便局が配達してくるあの、送料80円の書簡である。
内容を読んで、なんともいえない気分になった。

期せずして去年、今年と病気に倒れた友達を何人も永遠に失った。
今日の手紙は、数年ぶりのある友人からの手紙だった。闘病中だという。
悲痛な叫びと、あたたかな思いやりと、生きようとする決意が、
そこに書いてあった。私は何をどうして、相手に伝えたらよいだろうか。
すぐに書きたい返事なのに、何ひとつ気の利いた文章が浮かばない。

PCや携帯メールで文章をずいぶんと気軽に書いているもんだ。
原稿も軽く書き(打ち)流しているのかも知れない。
いざ、ペンをもち、文章にしようとすると何も浮かんでこない。しかし、私はこの手紙をどうしても書かなければならない事を知っている。しかも出来るだけ早く。

そんなところにテレビではまた新しい小学生の殺人事件を報道している。生命の値うちが安くなっている。いったい大人は子供をなんだと思っているのだろうか。
posted by しかたが ゆきのじょう at 23:32| Comment(24) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月09日

今日の一言☆「左脳派はかたづけができない」

犬を散歩させながら歩いていると、よく「まあ可愛い飼い主さんと良く似てるわねー」と言う人がいる。
世の中には犬に似てる人もいれば、サルに似ている人もいる。ネコみたいな人もいる。
それはわかるんだけど。
ところが、どんな犬を見たって、犬は犬の顔をしてるし、ネコはネコの顔に見える。
それを連れてる人は人以外の顔には見えないのだ。この私には。

…それを友人にふと話した。

すると、友人いわく、認識心理学の見知からすると、犬とか猫とか何でもその顔と、人とか他のものでも別の顔との類似点を即発的に認識してイメージするのは、右脳派人間の特性なんだそうだ。でもって、右脳派はかたづけとか掃除とか、超、才能があって、てきぱきと整理して片付けていくのが得意なんだそう。

するってえと…。

「飼い犬と飼い主の顔が似ている」事を認識できない私は掃除が苦手な左脳人間、ということになるらしい。…ほんとうか。
ついでに左脳人間はものすごい数式に強いらしい。
私はまったく数学が苦手である。
この問題はしばらくひきづりそうだ。
posted by しかたが ゆきのじょう at 21:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月07日

今日見たTVドラマ☆『ブラックウィドー』(NTV)

“火サス”転じて“DRAMA COMPLEX”となった枠のサスペンス。
小杉健治著『法廷殺人』のドラマ化である。
過去に恋愛に失敗した女検事(片平なぎさ)と富豪と結婚後、夫が事故死し、保険金を手中に収めた未亡人(杉本彩)。その内縁の夫の服毒死を発端に、検事は未亡人の過去を捜査する。そこには深い心の傷を負った未亡人の少女時代があり…。

ひとりの薄幸な愛に生きようと決意する切ない女のドラマ、が描かれている。
原作は、法廷ドラマだがその後味の歯切れの悪さを、未亡人の生き方に置き換えて、
「ひとつの愛のカタチ」にすることに成功している。杉本彩が好演。
posted by しかたが ゆきのじょう at 22:49| Comment(7) | TrackBack(12) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月06日

今日見たCM☆「ライフカード」<クリスマス編>

昨今流行りの「続きはwebで」というCFをwebで見たことがない。
が、昨日の新感線パロでちょっと思い出したのでライフカードのwebを見てみた。
現在は、クリスマスなのに、「取引相手の古田さん」に契約書持ってこい!とオダジョーが怒鳴られるアレである。
このCFはシリーズ?通算4作目で、かつては本田博太郎と池田成志の犬猫上司派閥にはさまれ、上司の娘(もちろん独身)猫背椿に駆け引きされ、出張先でもあやふやなヒラリーマンを演じているオダギリジョーが人気のCFである。
このクリスマス直前のシリーズは、一方的に喋り続ける古田新太に、先を見なければ、という気持ちに初めてなった(笑)。webからアクセスするとCFの続きの選択肢は3種。
・探す
・あきらめる
・ごまかす
“カードの切り方が人生だ”というキャッチに従いCF内容が見られる仕組み。
個人的には「ごまかす」篇が役者も生きてよく完成されていると思った。
オチはともかく、ライフカードは前シリーズにも話題の映像監督を起用しCFづくりに一計もちいる企業のひとつである。今後にも期待したい。
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2005年12月05日

今日観た舞台☆『平平凡凡』福田転球

舞台にひとり、の福田転球を初めて観た。
山内圭哉とふたりで組む『wat mayhem』の出し物を2公演、ソレを観るためだけに大阪に行った私としては、期待の記念すべき『転球、東京デビュー戦』である。
とにかく関西のように深夜枠のレギュラー番組があるわけでもない東京で、思わず「大丈夫か」状態だったが、福田転球ひとり舞台、にもかかわらず「構成:山内圭哉」クレジットマジックの効果アリ?で、一公演ということもあって集客は形になったようで安心する。
白い体操服のような格好で踊りながら登場した転球、緊張が客席にも伝わる。しかしだんだんと持ち前の“行き当たりばったり、何でも来い”の福田転球らしさが戻ってくる。
初お目見え同然でしかもひとり舞台。よくやったと思う。しかし、内容は多数の役割に大忙しの図で、演じきるのはさすがだとは思うが、やはり、せめて今度は2cheatばりに誰か“つっこみ”を用意した方が気楽にやれるし、福田転球自身の魅力と才能ももっと光るのではないだろうか。余裕がないのか「うどん映像」の最中に客席を見ないあたり、内心バクバクだったのでは…?
「限界や」「オレ引出し、ないんや」とつぶやいて終幕。いや、そのセリフを云えるところが福田転球なんだから。
派手に背景画面をしょって踊るエンディングは、東京進出して大成功の劇団☆新○線風だと云うが、たとえ儲かってもあんな風になっちゃダメだよー(笑)。けど、粟根まことの真似はイイもんみせて戴きました。

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今日見たTVドラマ☆「終わりに見た街」(ANB)[録画]

“脚本・山田太一ドラマスペシャル終戦60年特別企画”なんだそうである。
都心近郊にある分譲住宅地の一画に住む中井貴一、木村多江夫妻が娘、息子と共に住む一軒家。ある朝、目覚めたら、そこは昭和19年の日本になっていた。唯一、柳沢慎吾とそのひきこもりの長男のみが同時代の同胞として存在しているらしい…。6人は、何とかその社会で生きようとするが…。
反戦をうったえる主旨のドラマなんだということはよくわかる。
しかし、ともかく何もかもが「不思議ドラマ」だった。意図的だとしたら見事なものだが、セリフにしろ、演技にしろ、映像にしろ、すべてがうわすべりしているように見える。繰り返されるいつかどこかで見たような光景の連続に、所在がなくなったきた頃、ようやく時間がきて終末に至る。そこに用意されていたものは容赦ないラストシーン。しかしながら、とっくに『猿の惑星』で驚かされている我々にとって、そのオチは無味乾燥に終わってしまった。

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2005年12月03日

今日見たTV☆「始皇帝の真実〜史上最大の地下帝国解明」(ANB)


『三国志』に始まって中国という国の思想はすごいと思う。四千年前の事をつい10年前の歴史のように、さながら生き証人がちょっと前までいたように語る伝説の数々。“四千年前、秦の時代…”と彼等は表現する。「秦」それは立派な古代なんだと思うが、かの国では、そうではない。その自信は何処からくるのか。それは「物証」があるから。そしてその「物証」こそが、万里の長城だったり、始皇帝廟だったり、史記だったりするわけだ。
しかしながらかの有名な『史記』だって、2000年以上前に、400〜1000年以上前のことを一個人、司馬遷が聞き込みリサーチで書いた小説だ。その文章の型破りさに、フィクションかノンフィクションか判ったものではない。…と、一部の識学者には言われていた。30年前までは。1974年西安、それは干ばつに水を求めて井戸を掘っていた農夫が見つけた。焼き物の生首、続いて胴体、手足、武具いろいろ…。そして、これこそが巨大な「兵馬俑」の発見のきっかけだったんである。
その中国人ですら驚く規模の壮大な人馬の遺跡に、『史記』はいきなり歴史書としての株をあげた。ひょっとしてもしかしたら、司馬遷の想像ではなく、3500年前でも、オートセキュリティの自動石弓発射装置も、水銀の海、川も、宝石で飾られた天体図の描かれた天井も、「在った」んじゃないかしら…。
てなもんで、真実は推測の域を超えずとも「兵馬俑」は、夢はふくらみ、世界的な観光地デビューも果たし、今や万里の長城に並ぶ中国の史的財源となっている。
やっと番組の話になるが、“地下帝国解明”というからには何か新しい事実が“解明”されたんだろうとワクワクして番組を見ていた。しかし何のことはない、それは旅番組「兵馬俑」みたいなもん。…がっかりだ。解明されたのは発掘がおそらく30年を経ておそらく現在1/6位のところまできている、という推察くらい。
おそらくもっとも知りたい「兵馬俑」の意味がなんだったのか、全体図はどういう事だったのか、これは私が生きているうちには結論は出ない。なんだか、さらにガッカリだ。

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2005年12月01日

今日の一冊☆『見張り塔から ずっと』重松 清(新潮社文庫)

夕刻の新宿駅南口を通った。
甲州街道の大通り沿いのてっぺんに立ち、何だか文字通り大都会の冷たさと
高層ビルと開発途中の工事の様相のただ中に立って、
都市という怪物に気圧されて思わず、泣きそうになっている自分がいた。
哀しいのではない、寂しいのでもない。
思わず都会の気迫に負けてしまいそうな自分がいた。
その感情は悔しさにも似ているかも知れない…。

山本周五郎最終候補にもなった重松 清・著『見張り塔から ずっと』はもう10年も前の著書である。何故か今まで読む機会を失っていた。
「カラス」「扉を開けて」「陽だまりの猫」三編からなる一冊である。
表題作品があるわけではない。

「カラス」
郊外だが好条件のマンションを購入した家族群が、予測のつかなかった時代の流転で資産価値が低迷する中でローンを払い続ける生活の中、後日値下がりした所に契約、入居した一家族がいじめの標的になる…という物語。
「扉を開けて」
小さな息子を失ったマンションの一室の夫婦が、同フロアの同じ年頃の少年を通して、それぞれの人生のボタンの掛け違いがあったような微妙な生活リズムのズレに苦しむ夫婦を描く。
「陽だまりの猫」
理想と空想の中で現実を避けていたような十代の少女が、母となり娘を得た現在。できちゃった婚で得た夫、その母との交われない絆に苦悩する…。

少し前の私は、電車で読む型だった。昨今は風呂の中で読む型に変身してしまった。
だが、この『見張り…』の冒頭を読み出した時、この本は、寒い中、都会のどまん中で読みたい、と思い、実践したのだ。時はまさに、マンション構造計算書き偽造問題に揺れる世情の中、冬の冷たい風の中、ひとりベンチ等に座ってこの本を読んだ。

『見張り…』の意味は、常に著者が、その場所から人を見つめている視点なのだという。
文庫のためのあとがきに、見張り塔にのぼって、哨兵はただ、見る。のだ、という。好む好まざるに関わらず「目撃」するために、哨兵はまた塔に昇る…。

人生は人それぞれのドラマが必ずある。
私たちは誰もが、いわく「哨兵」であり、なおかつ「目撃される人」である。
それは、誰がどうしてもどうしようもない現実なのだ。
きっと、その重荷に思わず泣きそうになるのである。


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2005年11月27日

今日見たTV☆ブロードキャスター(TBS)

ついその名前を忘れてしまったが、松浦亜弥が出演している「ゆうパック」のカメの事をとりあげていた。そう、あの「足が遅いと思っているのは間違い」の俊足カメである。
あのカメの映像は、倍速編集加工とかではなく実写実速度の動物映像らしい。
で、TBSが誇る『どうぶつ奇想天外』の千石先生がコメントしていわく、
アフリカかどこかのカメでふ化したカメが、一刻も早く天敵から身を守るために海に入るために、ひたすら砂地を駆けていくの図、なんだそうだ。先生いわく「ただひたすら焦ってる」ところなんだそうである。ガンバレ、カメ。
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2005年11月25日

今日見たTV☆「慶次郎縁側日記2」第8回(NHK)

同心リタイアした慶次郎をとりまく人間ドラマ。同名小説のTVドラマ版だが、このドラマさすがはNHK。キャスティングにスパイスが効いている。今日の筋書きは「昔の女」。岡っ引きの辰吉(遠藤憲一)の前に突然、愛妻を失った20年前の事件で、いわくの女おもん(島崎和歌子)が、その夫(加納幸和)と離縁するために鎌倉の駆け込み寺まで行きたいと現れる。鎌倉までの道中が夫に阻まれることがないように送っていくことになる辰吉。そして、その後を追う慶次郎(高橋英樹)と、慶次郎が一人娘を失う由来をつくった父親の娘おぶん(邑野みあ)。彼女は辰吉に思いを寄せている。やがて、おもんの夫に追いつかれた辰吉たちは窮地に陥るが…。
今回の(私的)見どころは、遠藤憲一と花組芝居の加納幸和(しかも男やくざ役)との長身ふたりの立ち回りかなーー。TVフレームには入れづらい大きさだってことがよくわかるワンシーンだった(笑)。
他に、石橋蓮司、奥田瑛二、安達祐実、かたせ梨乃等々、金曜時代劇さながらの豪華なキャスティングぶりだ。
惜しむらくは、北原亞以子原作の文中では、この慶次郎の一人娘の婚約者だった婿養子が、「町ゆく娘が皆振り返らずにはおれない美貌の同心」…のハズだってことかな。
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2005年11月24日

今日聴いた一曲☆「The Show Must Go On」/Queen

Tribute to Freddie Mercury(1946.9.5-1991.11.24)
1991年の今日、フレディ・マーキュリーがHIV合併症のために病没して今年は15回忌にあたる。早い。生まれた子供はもう中学校を卒業する年齢だということだ。
あれからどれほど世界は変わった事だろうか。
週刊新潮の車内吊りで「エイズにおびえるロックスター」のグラビア見出しに名前も出てないのに、あ、これはフレディの事だと直感して雑誌を買った。1989年頃だったろうか。当然フレディは発病以前で、記事は彼のその類の友人たちが次々に他界して、彼自身も脅える日々を送っている…云々の内容だったと思う。
そして。
1991年あまりにも彼らしく彼の最期は伝えられた。
彼の事が好きだった人もそうでなかった人も皆、彼の訃報を残念に思った。
今まで彼の事を褒めたこともなかった友人も言った「もったいない。歌巧かったのに…」妙に心に響いた言葉だった。

今年20年ぶりにBrian May、Roger TaylorとFree〜Bad Company〜The Firmという'70年代の化石のようなPaul Rodgersが来日公演を果たした。ステージのバックスクリーンに、'75年来日時、急遽、回す事になったフィルム(録音班は不在だった)が映し出される。このプロモーションフィルムはディープ・パープルLIVEと共に日本中を駆けめぐりビッグマネーの種子となった。客席で20代の青年が隣の彼女につぶやく「あれって何の映像だろうな」。時代はそうしてめぐり、やがて忘れられていく。

止まったままの時はそのままに、それでもムーヴメントを起こそうとする。けれどその成果は思惑を超えることは決してない。けれど人は何かをせずにはいられない。このバカらしい現実をフレディなら何と言うだろう。
立ち話ついでのようにRoger Taylorに聞いた。私たちは同時に同じ言葉を言った。
「That's a Life. We have to go on.」
驚いた事に15年目で始めて自然に彼を偲んで涙がこぼれた。ちょっと笑った。RTと私は同じ昔の事件を思い出していた。フレディ、貴方の壮大なバカ話がもう一度聞けたなら。もう一度皆で大笑いできたなら。
この道を歩いていったらまた逢うことがあるだろうか。それが人生なら。哀悼。
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2005年11月23日

TV☆『News23 特集インターネットvs.報道』

TV☆『News 23:特集インターネットvs報道』

インターネットにおけるブログが報道機能を持っている事に対して新聞・テレビ等の既存のジャーナリズムは今後どうなるのか。という事を、筑紫哲也氏、鳥越俊太郎氏、そして時事通信の湯川鶴章氏が対論している。
アメリカなどでは定着しているブログが日本においてもテレビ、特に報道番組をおびやかす存在になるか、というようなテーマらしい。
アメリカでブログが定着した理由は、時事通信の記者氏によると次の2ポイントだそうである。
1)「主張が美徳」の国民性
2)ブログがキャリアアップにつながる

鳥越氏はこれを受けて中国がブログで日本の靖国問題を煽ったことを例にとってナショナリズムに使用されることへの危惧をコメントしている。
かといって、どこかのIT企業の代表が言うように、新聞・テレビが娯楽報道のみを追求するものにはならないだろうし、
マスメディアの事件報道の必要性の他方で、「草の根ジャーナリズム」すなわちブログに代表されるアマチュアジャーナリストの意見定義の場とが、二方向化していくだろうという仮説をたてている。それにしても素人にはできない「ニュースを仕訳する人」の必要性も語られている。
しかし。
今やテレビの報道番組のニュース仕訳は、芸能ニュースにいたるまで本当によく似ている。同時間帯にチャンネルを動かしても同じニュースが繰り返される現状だ。たまに関心をひくことといえば、被害者が仮にふたりいて、そのうち亡くなった人と生存している人の名が入れ違っていて、ミスをしたのはどの局なんだろうか、と見るような時だけである。使用されるフリップまでもがよ〜く似ている。本当に持論をもって電波にのせるニュースキャスターという人は日本に果たして何人いるだろうか。申し訳ないが、政治の話などは『TVタックル』を見ている方がよほどおもしろい。
問題化されている世情の複雑なニュースは『こどもニュース』の方がよほどわかりやすい。
争って同内容のトップニュースを並べる方がいいのか、局方針で仕訳したニュースだけを提示していく勇気があったらテレビ報道ももっとおもしろくなるんだろうが。まあ日本では難しいことだろうね。

ブログは「草の根」なのか「単なる自己満足」なのか。
私が思うに、そのへんは微妙だなー。
posted by しかたが ゆきのじょう at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月22日

今日のTV☆『デザイナー』

東京ではTBS系で放映されている月〜金TVドラマ。
いよいよ今週末25日で全40話の最終回を迎える。
原作は女性コミックの御大・一条ゆかりによる同名コミックだ。
元モデルの亜美が、陰謀と野望の逆巻くデザイン業界で若手デザイナーとして成功するまでを描く。しかしその成功とは常に砂上の楼閣に過ぎず…。
原作に忠実ならば、レディ向けコミックお決まりの大波乱どんでん返しメロドラマとなって終結するハズ。物語は今日まで、だいたい原作通りなので悲運の最期の三日間に突入することだろう。

ここで書きたいのは、コミックの映像化って、本当に難しいんだなーということ。

小説の映像化さることながら、コミックはさらに絵が擬人化されてしまってイメージが読者にできあがってしまっているから大変。演技とかの批評ではなく外見の話をしたいだけなんだが、主人公からして、どこから見てもモデルはもとよりデザイナーにすら見えない亜美、そして敵対する中堅デザイナー麗香は、私生活を捨ててアパレルの重鎮にのしあがった女にはとても見えず、さらに、大会社である結城コンツェルンの若き経営者は、余りにもみっともない丈の長い上着を着ている。誰か何とかしてやってくれ。そしてその参謀である秘書は、わざわざ長髪である必要はなかったんじゃないか。
噂によると、放映中の『花より男子』は、それでもファンの期待をへし折らず好評を博しているらしいが、それにしたって、ファン理想のキャラ=俳優が存在しているようだ。私は原作コミックを一度も読んだことがないので、評価できないんだけど。

さて、『デザイナー』に戻る。
その結城朱鷺の長髪の秘書兼養育係(いったい彼の年齢設定は何歳だったんだろう?)として登場した柾は、当時、小作品でデビューするもアシスタントとしても重用されていた大矢ちきが描いた。人気漫画家の連載ページ中で別の漫画家が画風そのままに主要レギュラー・キャラを加筆する。当時、女性コミック誌界では、ある意味、画期的なイタズラで、ひそかに高く評価されたものである。
しかしながら何で今、『デザイナー』なんだか。一条ドラマにしたって、もっと、映像になりやすい作品もあったろうに。
posted by しかたが ゆきのじょう at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昨日出会ったniceなあの人☆クリーニング屋のおぢさん

ここのところ、運に見離されている。
なんだかツイテないんである。
先週は、ポリの“ネズミとり”で青切符を切られた。
毎年、年末に向けて“バウンティハンター”と化して荒稼ぎする大日本警察。
その前哨戦とばかり平日真っ昼間の午前中の田園風景の中、いきなりの「待ち伏せ」である。
何処に設置してあったやら説明もないままにレーザーで測ったと一方的に提示する速度から算出された罰金という名の被害総額は12,000円也。ほんっとに頭にくる。
“ネズミとり”って、厳密にいえば犯罪スレスレなんじゃないのか。さよならゴールド免許。
どっぷり落ち込んだ心の傷を抱えながら、今日は歩道にバイクを停めて銀行に行こうとしたら、
その車道に納品が終わって駐停車していたバンに戻って来たクリーニング屋のおぢちゃんが
「おまわりが張り切ってまわってるからココあぶねえよ。気ぃつけな!」
…!何て素敵なクリーニング屋のおじさま。
そうだ、この気のゆるみが二度目の不幸を招くのかも知れない。
と、礼を言ってバイク位置を動かしてみる。
結果はおかげさまで今日は事なきを得た。
昨今、パトカーも昼っから頻繁にグルグルしている。
今年の取り締まりはとっかかりが早いらしい。みんな、くれぐれもダマしうちに注意!
posted by しかたが ゆきのじょう at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月20日

TV☆『長崎犯科帳』

1975年ユニオン映画制作の時代劇ドラマである。今年も12chで再放映されていた。
今日ふとCS:ch261で偶然、現在放映中なのを見つける。全26話中、今週は9話目。
これはよくできた時代劇シリーズだったなあと思いながら思わず見てしまう。
このドラマはエンディング映像がすごいんだ〜。

ぷらり江戸から突然、赴任してきた長崎奉行。
“昼行燈”の陰口に恥じず商人が献上する黄金に輝く饅頭も
「俺ぁ大好物だあ!ありがとよっ!」と笑顔で受け取り、
仕事の合間は畳にゴロ寝、のお奉行である。
ところがこの奉行、実のところは唯一の海外貿易に腐敗しきった長崎を掃除するために
やって来た。白州で裁けない悪人を闇にまぎれて始末する切れ者奉行で…。

奉行に萬屋錦之介、一番に仲間と見込んだ貧乏蘭学医に田中邦衛、さらに火野正平、
磯村みどり、御木本伸介、新克利、ナレーターには城達也、と大したキャスティング。
当時のことだから脚本も演出も各回とても丁寧だ。
お気に入りのオープニングとエンディング、いわゆるタイトルバック映像は
実相寺昭雄監督の演出による。今も絶賛するのは、オープニングのカット編集、
エンディングの長崎凧の映像にそのタイトル文字。
当時、長崎凧も特注だったらしいが、その映像にのっている書体、
これ特注フォントだよー。
特注フォントといえば、市川崑監督のいわく「市川文字」が著名だが、
TVシリーズのエンディングに特注書体とは…!
さすがは“実相寺美学”30年経過した現在もちゃんとカッコよく見える。

おっとそれに今日11月20日は他ならぬ萬屋錦之介の誕生日だ(1932.11.20-1997.3.10)。
よっ萬屋!お誕生日おめでとうでした!
posted by しかたが ゆきのじょう at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月19日

Personal★Hollywood Fan!がきっかけ。

世間で人気のレ○ザーラ○ンHGをテレビで見ない日はない。
そんな怖ろしい日が来るとは!
「行く時は一緒ですよーー!」彼がそう云ったかどうかはともかく、
やりましょうよーブログですよー世の中はー!ってんで、手をつけてみた。
机の引き出しには三日坊主の日記帳がヤマとたまっているこの人生。
どこまで続くか果たして自分自身でもわからないが、
HGが年内はこのままトバしたいと云っているのだから、
私も今年はあと一ヶ月だしひと月位つきあってみっか(笑)。
それにしても腰痛は治ったの? ○○ちゃん!
posted by しかたが ゆきのじょう at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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